2019年10月25日(内田雅敏見解) 1965年 日韓基本条約・請求権協定の修正、補完は不可避である

1965年体制の現実的な克服方法については、これから知恵を出し合い、運動が必要ですが、世話人の一人、内田雅敏弁護士の見解を紹介致します。


1965年 日韓基本条約・請求権協定の修正、補完は不可避である

 1. 「日朝平壌宣言」と比較するとよく分かる

1965年の日韓基本条約・請求権協定が植民地支配の清算を欠いた不十分なものであり、その修正・補完が不可避なことは、65年の日韓基本条約・請求権協定と、小泉内閣の時代に北朝鮮との間でなされた2002年の「日朝平壌宣言」とを比較してみるとよくわかります。

 

1)1965年の「日韓基本条約・請求権協定」では、植民地支配に対する謝罪も反省も無かった。

日韓基本条約・請求権協定では、

「1910年8月22日以前に大日本帝国と大韓帝国との間で締結されたすべての条約及び協定は、もはや無効であることが確認される」(日韓基本条約第2条)

とされ、植民地支配が合法・有効であったか、それとも違法・無効であったかは曖昧にされ、「もはや無効である」という無効になった時期を明示しない玉虫色の解決がなされて、植民地支配に対する謝罪も反省もありませんでした。

 

2)しかしその後の2002年「日朝平壌宣言」では、植民地支配に対する反省と謝罪がしっかりと述べられている。

「日朝平壌宣言」では、村山首相談話(戦後50年の節目である1995年8月15日に際し発され、植民地支配について謝罪した)及びこれを踏襲した日韓共同宣言(1998年、金大中大統領・小淵首相) をよく理解し、

「日本側は、過去の植民地支配によって、朝鮮の人々に多大の苦痛と損害を与えたという歴史の事実を謙虚に受け止め、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明した」

と、植民地支配に対する反省と謝罪がしっかりと述べられています。

[参考]1998年の日韓共同宣言(金大中大統領・小淵首相)

「小渕総理大臣は、今世紀の日韓両国関係を回顧し、我が国が過去の一時期韓国国民に対し植民地支配により多大の損害と苦痛を与えたという歴史的事実を謙虚に受けとめ、これに対し、痛切な反省と心からのお詫びを述べた。
 金大中大統領は、かかる小渕総理大臣の歴史認識の表明を真摯に受けとめ、これを評価すると同時に、両国が過去の不幸な歴史を乗り越えて和解と善隣友好協力に基づいた未来志向的な関係を発展させるためにお互いに努力することが時代の要請である旨表明した。」(日韓共同宣言 引用終わり)

 

 

2. 1990年の自民党、社会党、朝鮮労働党による三党共同宣言においても「謝罪し、十分に償うべきであると認める」としている。

村山首相談話に先立つこと5年、1990年9月28日、平壌に於いて、自由民主党代表金丸信、社会党代表田辺誠副委員の両氏を団長とする日本の与野党と、朝鮮労働党の間で、発せられた三党共同宣言第1項は以下のように述べています。

 「三党は、過去に日本が36年間に朝鮮人民に大きな不幸と災難を及ぼした事実と戦後45年間に朝鮮人民にこうむらせた損失について朝鮮民主主義人民共和国に対し、公式的に謝罪し、十分に償うべきであると認める。」

 そして、この三党共同宣言に対して、当時の与野党、すなわち、自民党、社会党、公明党、共産党、民社党のすべてが、歓迎の談話を発しました(1990年9月29日朝日新聞)。

 

 

3.「解決済み」論は通用しない幾つかの事実経過

1)北朝鮮との間では、植民地支配の問題は未解決と認めている

韓国との間ではこの問題は「解決済み」であるとする日本政府も、北朝鮮との間では、まだこの問題が未解決で残されていることを認識しています。その解決に際しては、当然、植民地支配について反省と謝罪を述べた「日朝平壌宣言」が出発点となることになり、植民地支配の清算が不可欠となるでしょう。

となれば、植民地支配の清算に言及しなかった1965年の日韓基本条約・請求権協定の見直しが不可欠となり、日本政府がいま述べている「解決済み論」は通用しなくなるのではないでしょうか。

 

2)韓国併合100年に際し発せられた菅直人首相談話でも、植民地支配に対し、痛切な反省と心からのお詫びを表明。

2010年、韓国併合100年に際し発せられた菅直人首相談話

「本年は、日韓関係にとって大きな節目の年です。ちょうど百年前の八月、日韓併合条約が締結され、以後三十六年に及ぶ植民地支配が始まりました。三・一独立運動などの激しい抵抗にも示されたとおり、政治的・軍事的背景の下、当時の韓国の人々は、その意に反して行われた植民地支配によって、国と文化を奪われ、民族の誇りを深く傷付けられました。

私は、歴史に対して誠実に向き合いたいと思います。歴史の事実を直視する勇気とそれを受け止める謙虚さを持ち、自らの過ちを省みることに率直でありたいと思います。痛みを与えた側は忘れやすく、与えられた側はそれを容易に忘れることは出来ないものです。この植民地支配がもたらした多大の損害と苦痛に対し、ここに改めて痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明いたします。」

このように、菅直人首相談話も、三党共同宣言(1990年)、村山首相談話(1995年)、日韓共同宣言(1998年)、平壌宣言(2002年)と続いた流れを踏襲し、植民地支配についての謝罪をしています。これらの経緯を踏まえるならば、もはや65年の日韓基本条約・請求権協定の修正・補完は不可避であることが分かります。

 

 

4. 日韓基本条約・請求権協定の修正・補完は、実質的にはすでに「慰安婦問題」「サハリン残留(放置)韓国人帰還問題」等でなされている。

北朝鮮との間でだけでなく、韓国との間でもすでに請求権協定の実質的な修正・補完がなされているのです。それは『慰安婦』問題です。

1965年の請求権協定当時は、『慰安婦』問題はまったく論じられていませんでした。『慰安婦』問題についての日韓合意は、日本政府自身が65年の日韓請求権協定では議論していなかった問題として協議に応じたものであり、その意味で請求権協定の見直しに応じたものと言えるものではないでしょうか。『慰安婦』問題の外にも、原爆被害を受けた韓国人の治療問題、サハリン残留(放置)韓国人帰還問題等でも、65年請求権協定の見直し、補完がなされています。韓国を「朝鮮にある唯一の合法的な政府」とした日韓基本条約第3条も、1991年に朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が国連に加盟したことによって、今日においては「失効」しているのではないでしょうか。

 

 

5. 元徴用工・遺族に対する賠償が既になされている事例がある

 元徴用工問題でも1997年9月に、新日鉄釜石製鉄所で強制労働させられた元徴用工・遺族11人が原告となって、新日鉄を相手に未払い賃金の支払いを求めた裁判で、原告に各200万円を支払うという和解が成立しています。

この裁判では国も被告としていましたが、途中で分離しています。

新日鉄は、裁判では、戦前の会社とは別法人だと主張しましたが、和解に応じたのです。他にも、1999年4月 日本鋼管 韓国の元徴用工1人に解決金410万円の支給、2000年7月 不二越 韓国の元女子勤労挺身隊員ら8人と一団体に解決金3000万円余と会社構内に記念碑の建立と云う形で解決が図られました。

 

これらの和解は、原告とだけの和解で、花岡事件(鹿島建設)和解のように全体解決を図ったものではなく、また、企業が責任を認め、謝罪をしたものではありません。しかし、強制連行・強制労働賠償請求事件の「和解前史」として位置づけられるべきであり、また65年請求権協定の見直し、補完が行われているとも言えると思います。

 

2019年10月25日 内田雅敏